唐突だが、俺・野垣は釣りと同じくらいキャンプが大好きだ。キャンプには放浪者の自由さがある。それは例えばホームレスなどの持つ気楽さと、何処か一種相通じるところがあるように思う。つまり物持たぬものの気楽さだ。しかし決定的に違うのは、俺にはボロながらも返る家があるということだ。

キャンプ。それは太古から人が自然の営みの中で過ごしてきた生活スタイルを、もう一度追体験してみるということなのかもしれない。野山にあって自然の流れから水を汲み、大地の上に直かに寝て、空の下で飯を食い生活するのである。人という生き物として我々がなくしつつあるものを、キャンプは再発見させてくれる。

俺がキャンプをしていて一番気に入っているのは、人間というものに一番必要なのは何なのかということを、キャンプは痛切に教えてくれることだ。俺達が普段抱えきれないほど抱えている多くのものは、実は本当はそれほど重要なものではないのだということを、キャンプは気付かせてくれるのである。

そしてキャンプでは自分の好きなところで寝ることができる。これは中々貴重なことだ。俺達は普段自分の気に入ったところで寝る自由さえない。常に社会と結び付けられ、諸々の所有権にがんじがらめにされているからだ。しかしキャンプでは仮初めながらも自分で寝場所を選ぶ自由が与えられているのである。

だからキャンプはできるだけ自由でなければならない。できれば柵で囲われたキャンプ場よりも、人っ子一人いない山の中が一番だ。周りの目を気にすることもない。つまり人との関係からも自由になれるのである。

また文明の利器などはできれば極力ない方が良い。風呂もトイレもなくて良い。雨風の差し込まない岩室の一つもあれば、テントさえなくて結構だ。必要なのは食いものと寒気を防げるだけの衣類、そして生活を簡便にしてくれる若干の道具があれば十分だ。

若干の道具とは、火を使うためのキャンプ用コンロ、湿気を防ぐためのシート、ものを切るためのナイフ、荷物を運ぶためのザック、そして寒気を防ぐための寝袋である。これらはもちろんなくて済ませることもできようが、なければ自然のものを利用してこれに代えなければならない。だからできるだけ自然に影響を与えずにトランジットパッセンジャーとして過ごすには、是非もっていたい品々なのである。

キャンプで更に良いのは、節約しようと思えば金がほとんど掛からぬことだ。鍋・釜や衣類は家で使用しているものを持ちこめば良い訳だし、上に述べたような品々さえ揃えてしまえば、後は食い物代が掛かるくらいである。そして食い物も自分の手で作ることになるから、材料代のみあれば良いことになる。

最近はキャンプ場で贅を尽くしたディナーを奢るパーティも多いようだ。しかし俺はそれとは正反対で、なるべく質素なもので良いと考える。町で贅沢などいくらでもできるというのに、どうして野山に来てまで贅を尽くす必要があるだろう。飯の上に掛けるフリカケ一つあれば十分だ。これに味噌汁があれば、俺には十分贅沢だと思える。スーパーで100円で売っている缶詰でもこれに加わるようであれば、むしろ贅沢過ぎるのではないかと俺などは思ってしまうほどなのである。人間、3日や4日粗食を続けたところで、死にはしない。

キャンプはもちろん大勢で愉しむこともできるが、俺は敢えて単独行にこだわりたい。理由は付き合ってくれる輩が見付からぬからというのもあるが、むしろ山野にあっては孤独を友としたいと思うからである。町へ帰れば嫌でも人との付き合いが待っているのだ。山野にいる間くらい人との関係を絶って、一人を愉しんでも良いではないか。

俺にとってキャンプとは町との関係を絶ち他人との関係も絶って、あゆらるものから自由になろうと努めることである。もしも貴方が背負いきれないほどの荷物を背負い、絶ち切れないほどのしがらみを抱え込んでいると思うのなら、キャンプこそがそこから一時なりとも開放してくれる自由への道であるとお勧めする次第である。



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