アブの代理店については、よく知られているところでは、アメリカ市場の Garcia が上げられるでしょう。このガルシアはフランスのリールメーカー・ミッチェル社の販売総代理店をも兼ねていましたので、日本ではむしろミッチェルの名を通して有名と言った方が良いかもしれません。

ガルシア社の元々の起こりはアブよりも古く、1919年のこととされています。会社の設立はニューヨーク市で、ガルシア社がミッチェルの代理権を取得するのは1949年からとされていますので、ミッチェルの方がアブよりも早くからのお付き合いをしていることになります。この頃のガルシア社は Charles Garcia & Co. という名前の輸入商社で、外科手術用の絹糸などを主に扱っていたようです。それが後にリールを取り扱うようになるのは、戦争が終わって平和な時代が訪れ、怪我を治すための手術用の糸よりも、レジャー用品としての釣具輸入に活路を見出したということなのでしょうか。

1946年に始めて試験的にミッチェルリールを輸入したガルシア社は、釣具店での好調な売れ行きに気を良くして、次第にその発注量を増やしていきます。そしてニューヨークメトロポリタン地区でのトレードショウの成功もあり、自信を得た彼らは、1949年には先ずミッチェル社の輸入販売代理権を手中にします。

当時アブ社は、まだ後に来る主力機たるアンバサダーを世に出しておらず、またアブカタログ中でもフルーガーのリールやヘドンのルアーを扱っていた時代です。つまり、アブ社は当初ヘドンやエンタープライズ社とも相互の代理店契約を結んでいたものと思われます。

1952年にアンバサダーが市場に投入されると、ガルシア社は早速その市場性に目を付けます。そして1956年にアメリカでの総代理権を手中にすると、1957年には自社のカタログ中にミッチェルと並んでアンバサダーが登場する訳です。これ以降、ガルシア社はアブと手を携えてドンドン市場でのシェアを拡大していきます。そして、最終的には財政上の破綻から1979年に倒産を余儀なくされてしまう訳ですが、それまでに釣具の他にもハンティングやスポーツ用品などに取り扱い品目を拡大し、今日の日本で言えばダイワ精工のような総合商社的地位を築いていた訳です。

ガルシア社が最も興隆を誇ったのは、ミッチェルと並んでアブのリールの販売権を独占するようになった時期から始まって、1969年に本拠をニューヨークから隣のニュージャージー州に移し、本格的にアウトドア用品の販売会社としての地位を確立させていった頃でしょう。そして1979年には、一度その歴史に暗い影が落ちます。ちなみにアブ・ガルシアの本拠は、いまだにこのニュージャージー州に置かれています。

ここで一つ注意していただきたいのは、1979年以降、ガルシアがアブを買収したと勘違いしている人が意外と多いことです。実際にはその逆で、アブがアメリカ市場での販路を引き続き確保するために、ガルシア社をやむなく買い取らざるを得なかったという事実があります。そしてミッチェルは販路を失くしそうになった挙句、同じくハンティング用品などで販路を持っていたブローニング社と一時期手を組むことになります。そして更に付け加えると、カナダではガルシアの子会社である Garcia Outdoor Sports Ltd. という会社が、カナダ国内での販売を一任されていました。

では、目を他に向けてみて、他の国々ではアブの代理店はどうなっていたのでしょう。古いアブのカタログや保証書に目を通してみると、例えばスエーデン、デンマーク、ノルウェーなどのスカンジナビア諸国はもちろん、イギリス、ドイツなどはアブの直系かもしくは関連の会社が販売を取り仕切っていたようです。興味深いのはフィンランドで、スカンジナビア諸国のなかでもここだけ別会社のような会社名が見受けられるのは、あるいは取り引き当初からの古いいわく因縁があったのかもしれません。その後アブの取り扱い国はドンドン拡大し、オランダ、ベルギー、日本、オーストリア、イタリア、フランス、スペイン、オーストラリア、アイスランド、ブラジル、アルゼンチン、チリ、アセアン諸国へと拡大していきます。ともあれ、アブが直接販売会社を現地に設立するというのは、その市場をアブが重要視している証拠とも言えるでしょう。

中でもユニークなのをいくつか上げてみましょう。例えばフランスではアブの代理店はなんとあのミッチェルです。つくづくアブとミッチェルは因縁が深いようですね。また市場の比較的小さな南米諸国やアセアン諸国などでは、一つの国に設けた拠点から複数の国の販売を受け持っていたようです。例えばアセアン諸国の販売は、シンガポールの業者が一手に引き受けていました。それと、スピニングリールに関しては、なぜかアメリカ市場向けのものだけゼブコ(Zebco:会社名の起こりは Zero Bomb Co. つまり戦時中の爆弾製造会社から来ているという説があります。)がカーディナルシリーズの販売権を持っていました。この関係で、ゼブコ仕様の独特なカラーリングのカーディナルが誕生し、またアウトスプールのカーディナルがアンバサダーと名前を変えてガルシアから一時期販売されたりと、なかなか複雑な内部事情を垣間見させてくれます。またカーディナル以前では、ABU 444 などは Garcia 444 として一時販売されたことがあったようです。

ちなみにアブの有力市場においては、しばしばその国独自の特別仕様が顔を出すことが多いのです。例えば一連のハイスピードモデルがアメリカ市場から先ず投入されたことは有名ですし、4000Dや5500、6500などのブラウンプレートモデル、同じく5500のゴールドプレートモデル、5500CDLなどはアメリカのみでの販売です。またイギリスではマッチフィッシングに合わせた各種モデル、例えばカーディナル 44 Express や506M、アイルランド製造のサーモンロッドや一連のマッチフィッシング向けロッドなどが上げられます。

日本に目を向けてみると、代理店と聞いて皆さんの念頭に先ず浮かぶのは、やはりエビスフィッシングでしょう。元々の日本の総輸入代理店は、確かにエビスフィッシングが1960年代からやっていたと思います。しかしその始まりは、実は別のところにあったようです。つまり日本のルアーフィッシングは、戦後すぐにはまだ一般のものではありませんでした。むしろ戦後処理やその後始まった朝鮮戦争のために来日した進駐軍のものであったのです。この頃の日本のルアーフィッシングを語る時に必ず登場するのが、京橋に現在もある「つるや」というお店です。ある意味では、日本のルアーフィッシング界のルーツといっても過言ではないでしょう。それほど、日本のルアーフィッシングの黎明期には重要な役割を果たしたのです。

前述したように、日本においては未だルアーフィッシングは進駐軍のものでした。そして当時進駐軍の多くが滞在していた東京でも、釣りをやるアメリカ人兵士たちの多くが出入りしていたのが「つるや」だったという訳です(当時極東の一大基地であった沖縄は、まだこの頃アメリカから返還されていませんでした)。アブのリールの輸入を真っ先にもくろんだのも、やはりこの店だったと聞いています。まだ日本のルアーやフライの道具にはロクなものがなく、フライドレッシングの変わりにニカワでベットリと固めた「芸者ライン」なんていう代物が、できの悪い喜楽の六角竿とともに桐の箱に入ってセット販売されていた頃のことです。しかしいかなる事情のゆえにか、結局「つるや」はアブの総代理店にはなりませんでした。そして代わりに始めたハーディの輸入権も、結局はアングラーズリサーチという会社に譲り渡してしまうのです。ただ元々の輸入を企画した時の会社名が Svangsta から取った「スバン」という名前だったという事実からも、エビスフィッシングと「つるや」とのあいだに何らかの関係があったことは疑いがありません。

ともあれ、エビスフィッシングの輸入代理店時代が、日本ではアブの絶頂期だったと言っても良いと思います。特に1970年代初めからは、バスの違法放流をきっかけにした第一次ルアーフィッシングブームが巻き起こり、一気にルアーフィッシングの道具が日本中に広まる結果となりました。例えば現在ザウルスとして名を売っているバルサ50の登場もこの頃のことです。

このアブの絶頂期が陰りを見せ始めるのは、1980年代に入ってからのことです。この頃、日本製品のシェア争いに端を発した輸出攻勢により、海外の有力メーカーは大打撃を受けつつありました。価格が安くて比較的質の良い日本製品が、大量に市場に流れ込んできたのです。そしてこれが結果として、既存の大メーカーの衰退へと繋がっていきます。例えばハーディ社では、手間のかかるばかりで高価なメノウリングの使用をやめて、フジのセラミックガイドを使わずにいられなくなりました。また見栄えは美しいけれど手間のかかる飾り巻きを廃止し、ラッピングは単色のワインディングスレッドのみになりました。

フルーガーリールを製造していたエンタープライズ社は、リストラの挙句シャークスピア社に買収され、その後シェークスピア自体が製品の製造を日本やアジアの企業に委託に出すようになりました。またフェンウィックでは、やはりガイドやグリップをフジのものに変えざるを得なくなり、やがては手間のかかるフェノール樹脂を使った竿作り自体が、柔な代わりに安価で大量に作れるポリエステル樹脂主体の日本製品に太刀打ちできなくなります。

アブ社においても、性能面ではシマノ・バンタムとの競争に破れ、また価格面ではリョービの低価格路線により壊滅的打撃を受けました。また市場の要望に応える意味からも、ダイワやシマノを模した非円形リールの投入を余儀なくされ、アメリカナイズされたデザイン変更の影響もあって、アブらしさが失われたという批判も沸き起こる結果となりました。そして価格を抑える意味から、結局アブはリールやルアー製造の一部をアジアに委託に出すようになります。

これらの様々な価格と性能競争の激化から、アブはもちろん、フルーガー、シェークスピア、ハーディ、ミッチェル、フェンウィック、フェザーウェイト、アムコ、ヘドン、ブローニング、等々といった当時そうそうたるメーカーが、あるいは倒産し、あるいは弱体化し、有名無実化していったのです。

現在我々が日本で目にしている現象も、あるいはこの当時の釣具業界に一種通じるものがあるのかもしれません。つまりは価格破壊が急速に進むと、既存の業種に壊滅的なダメージが発生し、次第に生産の拠点は価格の高いところから低いところへと流れていくのです。そして産業の空洞化により、製品の質自体も著しく劣化するという悪循環を招きます。

日本におけるアブの代理店は、1988年まではエビスフィッシングが引き続き事業を続けておりました。しかし上記のような理由から業績は低迷し、エビスフィッシングはアブの代理権をマミヤオーピーに譲り渡すことで会社の立て直しを図ります。しかし結局かなわず、後にこの譲渡が決定打となって、エビスフィッシングはその歴史の幕を閉じてしまいます。

マミヤオーピーという会社は、元々はオリムピックという釣具の会社が始まりでした。この会社は植野製作所という日本で始めてスピニングリールを製造した草分け的企業の流れをそのまま汲んだ会社で、1970年代にはダイワやシマノをはるかに凌駕して、日本最大の販売網を誇っていました。特に投げ釣りでの純やアマゾンといったブランドは、当時広く受け入れられていたものです。しかしルアーフィッシングなど新しい時代の流れに対する対応の遅れから、次第にダイワ精工に水をあけられる結果となり、またベイトリールの分野ではシマノのようなヒット作にも恵まれず、ジリ貧の状態に陥っていきました。

しかし80年代の一時期、オリムピックが一躍脚光を浴びた時期があります。それは当時有望とされていたコンピューターソフトの開発という事業に、「コスモエィティ」という別会社を起こして敢然と乗り出したからでした。つまりは市場規模の小さく限られた釣具業界から、もっと将来性の開けた業種への転換を図ろうとしたのでしょう。一時期は店頭公開企業としてかなりもてはやされていたように記憶しています。そして更に80年代中頃、当時準大手とされていた大澤商会という総合商社の倒産に際して、そのカメラ事業部門のマミヤ光機という会社を買収し、名前をマミヤ・オーピーと変えたのです。マミヤはもちろんカメラメーカーから取ったものでしょうし、オーピーというのはオリムピックの略なのでしょう。

話は前後しますが、販売不振をなんとか打開しようと焦っていたのか、1980年代に入ってエビスフィッシングからは矢継ぎ早に旧モデルの復刻版が販売されました。これはアブ・スエーデン工場に残っていた旧型パーツをかき集めて製作したものと言われ、日本ならではの変ったリールが色々と販売されては、アブファンの目を愉しませてくれました。この頃販売されたものとしては、ツインノブハンドル付きの1500Cや2500C、同じく金属ネームプレート付きの2500C、波型プレートの5000Cやシルバーグレーの5500Cといった具合です。しかし旧型パーツも在庫が尽きたのか、このシリーズは1986年には店頭に見当たらなくなりました。

販売代理店がエビスフィッシングからマミヤオーピーに変った時にも同じ様な動きがあり、1989年ごろにはアブの70周年を目前にして、カーディナル33や5500Cブルーグレーが、そしてその後は続々とカーディナル44、6000C限定版、4500C、4600C、5600C、6600Cなどが矢継ぎ早に復刻生産されたのは、皆さんにも記憶に新しいところでしょう。しかしこちらの方は飽くまでも復刻版で、内部の作りも外観も、旧型とは異なった仕様になっています。

そしてこのような過去の栄光にすがるばかりの商法では、いずれマミヤオーピーの釣具事業が破綻することは明らかでした。昨年にはついにマミヤオーピーから釣具事業撤退の声明が出され、そのあまりの唐突さに驚いた方も多かったことでしょう。現在でもパーツのメンテナンスはマミヤオーピーで受け付けてもらえるようですが、すでにアブ・ガルシアリールの販売代理権はアメリカの親会社たるピュアフィッシングの日本法人、ピュアフィッシングジャパンに譲り渡されて現在に至っている訳です。

何分古い話なので、上記の中には僕の記憶違いや勘違いによる誤りが含まれている可能性があります。もしそういった点を見つけられた方は、ご指摘いただけると幸いです。


ご連絡は webmaster @abumania.com まで




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