アブマニアの名前は伊達じゃない

野垣太郎はアブノーマルである。 だからといって、彼が縄で縛られたりムチでしばかれたりして、「あっ、あぁ〜、女王様ぁ〜」などとあられもない声を上げるのが好きという訳ではない。

また、「あたし、男の人が好きになってしまったの。は〜っ、何ていけない私なの?あぁ禁断の恋!」などと溜め息を吐きながらバラの花に唇寄せて・・・・・といった趣味もないのである。野垣はごく普通の男であり、性的にはノーマルである。では一体彼の何処がアブノーマルだというのか?

彼がアブノーマルなのは、その魚釣りに対する情熱である。彼の釣りに賭ける情熱たるや、通り一遍のものではない。それどころか、考えようによっては命懸けといった釣りも、彼はこれまでに幾度となくこなして来たのである。一体何が彼をそこまで駆り立てたというのか?

野垣は平凡な田舎の家庭に長男坊として生まれた。祖父が少し厭世的であった事を除けば、彼は至って普通に育て上げられたのでる。将来は公務員か農協職員といった手堅い職にでも就いて、農家の跡取り息子として平々凡々たる生涯を送る筈であった。

彼は子供の頃から魚捕りがめっぽう好きであったが、それは田舎の子供にとっては至極ありがちの事であったし、自然の中で遊ばせる事を喜ぶ回りの影響でもあった。田舎では金で買ったおもちゃよりも、自然を相手にして遊ぶ事の方が遥かに多いものなのである。

そんな風にして育てられた彼は、魚をつかむのが人に比べて大層上手になった。回りから与えられた称賛の声に有頂天になった彼は、益々魚という生き物に強く魅せられていった。そして小学生に上がって初めて釣り竿を買ってもらうと、今度は魚釣りに没頭して行く事になるのである。 

だが、魚釣りに関しての彼の腕はどちらかといえば平凡だった。釣果の面から見ても、彼の腕は人並み以下だったといって良いだろう。このままいけば、野垣はすごく釣りが好きだというだけの、当たり障りのないただの人であっただろう。そんな彼に転機が訪れたのは、彼が大学生の時である。 

下手の横好きで、相変わらず釣りが好きだった彼は、大学では釣り研究会の渓流パートに入部する事にした。そしてその伝統の北海道合宿で、いきなりボウズをかこってしまうのである。北海道は渓流魚の宝庫である筈なのに・・・。そう思うと、彼はただ悲しかった。 

そんな彼も、例年行われる北海道合宿に参加する内、かの地で一人の釣り師と運命的な出合いを果たす事となる。彼の名はN氏。後に野垣の釣りの師匠となる男である。彼は釣りが好きで好きで、ついには妻子をほっぽり出して釣りに狂っている男だった。彼は何と、全く働くという事をせず、ひたすら毎日釣りにうちくれているという変わり種だったのである。 

そんなH氏に案内されて、北海道中を釣らせてもらっている内、野垣は誘われてイトウ釣りの達人、草島清作氏の所にも連れて行かれる事になる。道東の佐々木栄松画伯と並び称される氏は、イトウ釣り師ならば知らぬ者のいない名人であった。 

野垣はその草島氏に、イトウ釣りとはどんな釣りかと尋ねてみた。それに対する氏の答えは、「私らのやってきた釣りというのは、剣道や柔道と同じく釣魚道という釣りだから、アンタらにはいくら説明したって分かりっこないと思うよ。」というようなものだった。 

その時何故か野垣の脳裏に、「ようし、それならやってやろうじゃないか。その道というのを極めてやろうじゃないか。」という気持ちがムラムラと頭をもたげてきたのである。 

野垣は大学を無事卒業すると、就職しろという親の勧めにも耳を貸さず、単身北海道へと乗り込んだ。目的はただ釣りをする為、そしてその道を極める為である。そして彼は、アルバイトをして小金を溜めると釣り旅に出るという生活を始めた。つまり今でいう所のフリーターになったのだ。 

北海道で特に彼が興味をそそられたのはイトウ釣りである。1メーターを超えるというその魚の大きさ、そして幻と呼ばれるほどに釣り上げるのが難しい魚である事などが、彼を痛く刺激した。彼は是非メーターオーバーのイトウをしとめてやろうと決心した。

こうして彼は、毎年3月になると、氷が融けて開いたばかりの尻別川へ行き、その川辺に1ヶ月近くもテントを張って、イトウを追い求める日々を過ごすようになったのである。それはまるで、雪の原野をさすらう河原乞食のような生活であった。 

いかに川面の氷が融けたといっても、3月の北海道の気候ははまだまだ厳しい。気温はマイナス10度近くまで下がり、地面にはまだ1メーターを超す雪が積もっている。幾日も吹雪が続いて釣りに出られぬ事もしょっちゅうだ。そんな中、野垣は一人寒気に身を震わせながら、尻別川の水で米を磨ぎ、ひたすらイトウを追い求めてテント暮らしを続けていたのだった。 

イトウ釣りは厳しい釣りだ。氷点下の中でキャストを繰り返していると、すぐに竿のガイドには氷が張り付き、キャスティングのたびに糸に付いた氷がフワッと煙のように舞い上がる。指はすでに感覚を失い、顔は指すように痛い。そんな中、釣れない魚を追い求めてひたすらキャストを繰り返すのは、容易な事ではないのである。 

そんな野垣を心の底で支えていたのは、イトウ釣り師達との交流であったかもしれない。幻と呼ばれるほどに釣れない魚を追い求めていたのは、何も野垣一人ではなかった。そして川辺に集うイトウ釣り師達との会話はとても面白く、いつも野垣の心を弾ませた。

変わった魚を専門に狙っているせいか、彼らイトウ釣り師にも浮世離れした変わった連中が多かった。10年も足繁く通っているのに、まだ1本もメーターものを上げられない釣り師もいた。二階堂さんである。川に身投げをした若い女の水死体を釣り上げてしまった奴もいる。こちらはメーターものを何本もあげている大田充氏だ。彼はそれ以後メーターものが一本も掛からなくなってしまったとぼやいていた。

まったくどいつもこいつも、一般世間では箸にも棒にも掛からぬ連中かもしれなかったが、彼らは皆自分なりの一家言を持って釣りをやっていた。そんな彼らに対して、野垣の興味は尽きる事がなかった。類は友を呼ぶというが、結局は野垣もそんな変わり者の資質を持っていたのかもしれない。 

夏が来ると野垣は、今度は東北や北アルプスの渓流に遥々遠征に出かけて行った。軽自動車に生活道具や釣り具一切を積み込むと、彼は大物の岩魚やヤマメを求めて、険谿という険谿を軒並みに踏破して廻ったのである。 

この頃彼が歩いた渓流は、たいてい以前に誰か遭難者が出た事のある、いわゆる危ない場所ばかりである。八久和川や大石川、胎内川や実川、奥利根では途中で踏み跡に迷ってしまい、湖を泳ぎ渡って流れ込みまで到達した事もある。 

北アルプスの柳又谷では岩盤を20メーター以上も滑落した挙げ句、九死に一生を得、早出川ではスネじゅう山ビルに吸い付かれて血が止まらなくなり、大いに弱った事もあった。 

中でも思い出深いのは、三面川の岩井又沢に行った時の事である。以前ここで一人息子を亡くされたというご両親から、川で死んで親を泣かせるのだけはいけないと諄々と諭され、何とも返事のしようがなくて大いに困った事だった数年前、ここで早稲田大学の釣研が遭難事故を起こし、一人が帰らぬ人となっていたのである。 

野垣は北海道をベースにして3年間放浪生活を続けた。いまだメーターもののイトウは釣れず、釣りの道を極められたとも思えなかった。しかし彼には田舎に生まれた長男坊の宿命として、田舎に帰って実家を継ぎ、父母の面倒を見なければならないという使命感があったのである。周囲もそのように期待していた。彼はどうしても田舎へ帰らねばならなかった。

野垣は離れがたい思いを抱きながら、北海道を後にした。田舎へ戻って平凡なサラリーマン生活を始めなければならなかったのだ。最早26才になっていた彼に対して、田舎の雇用環境は必ずしも良好とはいえなかった。不本意ではあったが、彼は田舎の量販スーパーで店員として働き始めたのである。

だが30才になる頃から、彼には一つの疑問が脳裏にこびりついて離れなくなっていた。「俺はこのまま平穏無事に一生を送らねばならないのか?自分のやりたい事もできぬまま、一生を終える事になるのだろうか?・・・・」と。 

野垣は32才の時、それまで勤めていた会社をキッパリ辞める事にした。自分が生きている間にこれだけはやって置きたい、という夢をかなえる為である。それはやはり釣りだった。野垣は幼い頃から外国で釣りをする事が夢だったのである。

野垣はサラリーマン時代に溜めた金を持って、まずニュージーランドへ飛んだ。ニュージーランドを選んだのは、かねてからここが鱒釣りのメッカであると聞き知っていたからだが、他にも英語が通じるし、治安が比較的良くて安全だという点をも考慮した結果であった。羊が多い国という事で、そこから浮かぶイメージには、どこか牧歌的で優しいという、何とはなしの親近感のような気持ちも働いていた。

ニュージーランドは日本に比べて圧倒的に人口が少なく、景色は美しくて雄大だった。まだまだここには多くの自然が残されており、行く先々の川は、それぞれに素晴らしかった。住んでいる人間が少ないと、ここまで環境は良い状態に保たれるものなのだろうか?

野垣はレンタカーを借りると、半年の間というものニュージーランド中を釣りまわった。もちろん車で行けない所も多かったが、道伝いに彼はほぼニュージーランドを一巡してしまった。久しぶりに釣りに頭からどっぷり漬かった生活だった。 

ニュージーランドから帰国しても、彼の釣り熱は冷める事はなかった。今度はアラスカだ。そう思い定めた彼は、工場で工員として働きつつ、ひたすらその資金を捻出する事に専念した。

一年後、彼はアンカレッジ行きの機上の人となっていた。今度の旅ではアラスカからカナダを経て、ブラジルのパンタナル、果てはアルゼンチン・チリのフエゴ島まで到達するつもりである。その為に十分だと思えるほどの資金を用意して来ていた。

アラスカに降り立った彼は、その荒涼とした様子にまず驚かされた。アンカレッジなどの大都会は別として、少し周辺部に足を伸ばすと、そこには見渡す限り荒れ果てたツンドラ原野が広がっていた。ここでは自然がごく当たり前に存在し、人間が荒野の片隅にへばりつくように身を寄せ合って生活していた。 

更にここは生き物の宝庫でもあった。川辺に向うと熊の気配が濃厚だった。安全の為、護身用の銃を買おうとして日本大使館から拒絶された彼は、丸腰でアラスカの荒野の旅に出発しなければならなかった。 

彼がアラスカの釣り旅で選んだスタイルはフロートトリップである。これはゴムボートを使って、川を幾日もかけて下りながら釣りをするというものである。もちろんその途中、川辺で何泊もキャンプをする事になる。毎日が熊の恐怖との戦い、その始まりだった。 

鮭の遡上期にはアラスカ中の熊は川辺に移動し、来るべき冬に備えて体力を付ける為に鮭を貪食するのである。したがって釣り人が熊に出会う確率は非常に高いといわねばならない。彼は熊の糞や踏み跡におびえながらも、荒野の川旅を続けた。熊に襲われる恐怖よりも、魚を釣りたい一心の方が強かったのである。

そんなある日、ついに彼は川辺で熊と鉢合わせをしてしまう事になる。油断だった。何か近くに生き物が潜んでいる気配を悟っていたのに、鮭が沢山釣れるというので、彼は有頂天になってしまっていたのだ。 

熊は彼の方に走り寄ってくると、白い牙をむき出して低く唸った。手に握り締めた竿先が触れるほどの、ほんの3メーターの所であった。熊の吐く息音がフッ、フッと荒々しく聞こえ、耳をピクピクと動かすのがはっきり分かった。

熊は川の中まで踏み込んで来ると、彼とのにらみ合いが始まった。 野垣は川の中に立っていたので、何処にも逃れ得る場所はなかった。水の中で死んだ振りはできないし、川へ泳いで逃げた所で、熊は泳ぎが呆れるほど上手なのだ。最早絶体絶命だった。 俺はやられる!彼はそう観念した。

例えここで熊に食われて朽ち果てるとも、できる限りの努力はしてみよう。彼はこう決心すると、熊の対処法を書いた本の内容を必死に思い出そうとした。 まず目の前の熊に普通の声で語り掛けてみた。自分が人間であり、食糧としては不適だという事を熊に分からせる為である。

何の変化も起こらなかった。相変わらず至近距離でのにらみ合いは続いている。命を懸けたにらめっこである。 次に自分をなるべく大きく強そうに見せると良いという注意書きを思い出し、手を頭上にゆっくりと持ち上げ、思いきり伸び上がってみせた。

この時、変化が訪れた。熊が何ともいえず気まずそうな様子を見せたのである。あたかも困ってしまったナという風だった。 熊はどうやら引きたがっているようだ。そう直感した野垣はすぐに視線を熊から外し、油断したそぶりを見せて、熊が引き下がれるだけの時間を作ってやった。

熊はゆっくりと身を翻すと、水際から遠ざかり始めた。 助かった!そう喜んだのもつかの間、今度は熊は野垣の乗ってきたゴムボートの方へ近づき始めた。

これを壊されると人家のある所まで帰れなくなってしまう。今彼のいる所は、人間世界から少なくとも150キロは離れた荒野の真っ只中なのである。 野垣は必死だった。何か訳の分からぬ事を大声で叫びながら、彼は熊の方へ突進していった。

野垣のそのあまりの勢いにびっくりしたのか、熊は食糧を積んだゴムボートを未練ありげに振り返りながらも、ブッシュの方へ駈け去って行った。 彼はついに熊を追い払う事に成功したのだ。ほんの10分ほどの経験だったが、命が10年も縮んだ気がした。

しかし熊との騒動はこれだけではすまなかった。アラスカに滞在している間中、彼は熊の恐怖に悩まされ続けた。道端に置いた荷物を熊に持ち去られそうになった事もあったし、夜中の4時にテントの回りをうろつく熊に叩き起こされ、危うく難を逃れた事もあった。その時彼のロッドケースには、熊の爪痕がギリリと刻み付けられていた。

だが幾ら恐ろしい思いをしても、野垣は決して釣り旅を止めようとはしなかった。彼はある意味では釣りに命を懸けていたのかもしれない。釣りに命を・・・・・? 何と酔狂な、たかが釣りに命を懸けるなどとは・・・・・。だが彼自身はまったくの所、大真面目であった。

野垣は当初の予定通り、アラスカの釣り旅を3ヶ月で終了した。次の目的地、カナダへ向う為である。アラスカでは7本の川を釣り下り、全部で14匹の熊と遭遇した。 

カナダへ到着してみたものの、ここでは野垣の思うような釣りはできない事が判明した。カナダでは全ゆる事に金が必要で、外国人に自由はなかった。それは釣りも同様だった。どんな努力よりも、まず金が必要とされる国なのだ。野垣の行きたいと思っている川で釣りをするには、高い料金を払って地元のガイドを雇うしかなかった。だが、ただでさえ金のない彼にはそれは不可能だったのだ。

野垣は結局、スティールヘッドトラウトで有名なバビーン川を釣り下っただけで、カナダでの釣り旅を諦めた。ここでは3ヶ月間滞在する予定でいたので、大幅に予定が狂ってしまったが、他にどうしようもなかった。彼はバンクーバーでブラジル滞在のビザを取得すると、かの地へ向けて出発した。 

ブラジルへ着いて、まずはパンタナルの釣りについて調べる事にした。その結果分かった事は、想像以上にこの国の治安が良くない事実だった。日系移民の誰に尋ねても、一人でブラジルの奥地へ釣りに行く事には反対した。その理由は、殺されて持ち物を全部奪われた上に、死体は川に投げ込まれてピラニアかワニの餌食になってしまうだろう、というものだった。 

野垣は悩んだ。相手がワニやピラニアならまだしも、銃を持った金目当ての人間ほど凶悪な生き物は、この世に存在しないではないか?

結局彼は一人で釣りに出掛ける事は諦め、しぶしぶ高い料金を払ってフィッシングロッジに滞在する事にした。 だが、ガイドの付いたフィッシングロッジでのお大名フィッシングは、野垣の性には合わなかった。これだったら金さえ払えば犬にだって釣れるではないか?何処に釣り師としての工夫があるというのか? ただいわれた通りにやっているだけではないか? 

野垣はブラジルの釣りに幻滅した。ひとりで釣りに行けないというのもネックだったし、もう一度ガイドを雇う金も、またそのつもりもなかったのだ。野垣は早々にブラジルを退散する事にした。 

次に野垣が向ったのはアメリカ合衆国である。行程的には逆戻りだが、以前からアメリカの釣りを一度見てみたいと思っていたのだ。それにパタゴニアに向うにはまだ時期が早すぎて、どうしても1ヶ月あまりを何処かでつぶす必要があったのである。 

アメリカの釣りは全ての面で良く管理されていた。ここでは釣れる魚も釣り場も、ほぼ全てが人間の手によって管理されたものだといって良いだろう。アメリカ本土には、アラスカやブラジルにあるのと同じ意味での自然というものは存在しないのである。日本でさえ、アメリカと比べれば自然本来の姿が残されているというのはいい過ぎであろうか? 

野垣はアメリカの釣りのクオリティの高さに感心しながらも、日本人として何処か心の底から同意できないものを感じていた。国中の河川を質の良いニジマス釣り場のようにしてしまう事が、果たしてレクリエーションとしての釣りが望み得る最高の状態なのであろうか? 

この疑問は後々まで野垣の脳裏にこびりついて離れない事となる。果たして人間とは、そして釣りとは何だろうか? 釣りを楽しむ為にどんどん都合よく自然を改変していくのが、果たして許される事なのであろうか? 自然と共にあると豪語している釣り人が、自ら自然を自分達に都合の良いように改変するのに力を貸しているのではないのか? 

アメリカでの釣りは野垣の心に大きな疑問をもたらした。その釣りのクオリティの高さに高い敬意を払いながらも、やはり野垣には、アメリカのやり方は少し違うのではないかという気持ちがした。それと共に、アメリカの釣りは野垣の心に、釣りとは何か、日本の釣りはどうあるべきか、という新たなる視点をもたらしてくれた。 

アメリカで1ヶ月あまりを費やした野垣は、11月のコロラドの早い雪に追い立てられるようにして、チリへと飛び立った。サンチャゴで車を4ヶ月間借りる契約を済ませると、彼はまた魚を求めて勇躍として旅立ったのである。 

チリは恐ろしく南北に長い国である。北部はサボテンの屹立する乾燥した砂漠地帯だが、南へ行くと氷河の帽子を被った山々が連なる山岳地帯となる。その名も高きアンデス山脈である。そしてその先に浮かぶティエラデルフエゴはアメリカ大陸の最南端であり、南極に最も近い島の一つでもあるのだ。 

野垣が目指したのもやはり南、パタゴニアだった。ここは鱒釣りの宝庫として世界的に有名な所なのだ。別けてもフエゴ島は、世界一大きなシートラウトが釣れる場所として、世界中の釣り師の注目を集めているのである。野垣は通りがかった先々の川や湖で釣りをしながら、順次南へ車を走らせる事にした。 

ニュージーランド同様、アルゼンチンやチリには元々鱒はいなかったとされている。主にイギリス系の入植者によって、後からヨーロッパより移入された鱒達が、ここに定着したものなのだ。したがって本来の意味での、自然の中の魚釣りとは少しニュアンスが違うのである。

実際の所、現在世界的に有名な釣り場として名を馳せている場所のほとんどが、人間の手によって育まれてきたのである。この事実に気付くに至って、野垣は己の考え方の甘さをはっきりと指摘された気がした。

ゲームとしての釣りのクオリティを高めるには、釣り人にとって価値のある魚を増やすのが一番だ。それは釣り人自らが、元々の自然を徹底的に破壊する事に繋がる。釣り人にとって、自分達のゲームに価値のない魚など何の意味も持たないからだ。 

考えてみればこれは恐ろしい事かもしれない。白人がかつてインディアンを皆殺しにしようとしたように、我々釣り人も釣り上げる価値のない魚達を根絶やしにしようとしているのだ。

野垣の頭の中は混乱していった。だが、美しい風景の中での鱒釣りはいかにも素晴らしいものだった。釣り師である野垣は複雑な心境を抱えつつも、その素晴らしい山河での釣りを満喫しないではいられなかったのだ。

こうして1ヶ月もすると、野垣はアルゼンチンの中部山岳地帯へと達していた。今度はここの川をボートで釣り下ろうというのである。タクシーを雇って川の上流部に荷物を運ぶと、彼はいそいそとボートに乗って、川の釣り旅へと出発した。

川は想像した通り、素晴らしかった。魚達は力強く、大きく、沢山釣れた。だがパタゴニア特有の強風が、船足を極端に鈍らせていた。午後から吹き始める強風にまともに向き合うと、幾ら船を漕いだところで川上に吹きもどされるばかりだった。 

予定をオーバーして、2週間後に車をあらかじめ置いた地点まで辿り着いてみると、彼の車のタイヤは4本とも空気が抜けてしまっていた。パンクを直そうと思い、通りがかった車に便乗させてもらうと、何故か彼は警察まで連れて行かれ、そこで逮捕されてしまった。 

訳も分からぬままに尋ねてみると、どうやらあまり長い間車が放置されているので、溺死したのではないかという話になり、ダイバーを伴った大規模な捜索が行われたというのだ。だからおまえは世の中を騒がせた不届きな奴だという訳だった。

つまりタイヤの空気は、逃げられぬようにわざと抜かれていたのである。 こちらの事情を話すと、調書を取られたりすったもんだした挙げ句、何とか許してもらう事ができ、無事無罪放免となった。

だが、道端に車を2週間停めただけで逮捕されるというのは、いくら何んでも変な話である。本当の所はチリナンバーの不審な車が停まっているから、というのが理由だったようだ。 

ここアルゼンチンは、ほんの10年ほど前までは、頻繁にクーデターが発生する治安が良いとはいえない国柄なのである。事実、何千人もの人間が秘密警察によって連れ去られ、いまだに行方が遥として知れないのは有名な話だ。特にお隣のチリとの間では、表面上は友好的な関係を保っているが、国境をめぐって今でもいざこざが絶えないのである。

アルゼンチンの不気味さを肌で感じた野垣は、チリのパタゴニアへと逃げ出す事にした。チリまで来ると彼はまた性懲りもなく、氷河の山々を縫って流れる1本の川を、ボートに乗って釣り下る事にした。

他の釣り人達が釣りに入って来れないだろうと考えての事である。日本の渓流釣りでの経験が、彼にわざと難しい場所を選ばせていたのだ。 

野垣はすべての荷物をボートに積み込んで、川の上流を出発した。初めの内は順調に川を下っていたのだが、そのうち想像以上に川が荒れ出した。彼の小さなボートは木の葉のようにもまれ、とある瀬でついに転覆した。アッ、と思う暇もなかった。 

野垣は氷河が融けたばかりの冷たい川へ投げ出され、急流の中をもまれながら下っていった。あまりの水の冷たさに、すぐにからだの自由がきかなくなり、呼吸をするのもやっとだった。

もう溺れるのは時間の問題だった。野垣は死を覚悟した。 その時、野垣の脳裏に浮かんだのは、自分が郷里に残してきた父母の顔だった。

幼い頃からわがままばかりいっては、両親に迷惑をかけてきた自分。それなのにまた自分勝手に釣りをしたいといい出しては、家を飛び出して来てしまった自分。今まで何の親孝行もしてやれなかった不甲斐ない自分。そして今、見知らぬ異国の地で命を落とそうとしている自分。

父や母の嘆き悲しむ顔が目に浮かんだ。俺はこんな所で死ぬ訳にはいかない。これ以上両親を悲しませてはならないのだ。 父母の顔を思い出した瞬間、野垣は絶対に諦めるものかと思った。

だが事態は更に悲観的だった。次々に急流が現れる度、彼はしたたかに水を飲んでいた。手足は麻痺して、思い通りに動かす事さえできなかった。

彼は動かなくなった手足を動かそうと必死にもがいた。そして目の前にすっぽりと切れ落ちたすごい滝が見えてきた時、彼は最早自分の運命が風前の灯火であることを悟った。

あそこへ吸い込まれれば間違いなく俺は死ぬ。 野垣は必死にもがき続けた。最早神様に頼る他はない。そう思った時、彼の流されて行く先に一本の木の枝が下がっているのが見えた。 彼は手を伸ばすと、必死にそれにしがみついた。

滝の手前で、一瞬川幅が半分ほどに縮まる。彼はそこで何とか危機を逃れたのだった。 まさに間一髪だった。後3メーター流されていたら、彼はこの世の人ではなかったろう。ボートが転覆してから優に500メーター以上も流されていた。

彼は立ち上がる事さえできずに、しばらくは川辺に這いつくばっていた。助かったのだ! とはいえ、彼は全ての荷物をボートと共に流してしまっていた。パスポートも金も釣り道具も、持っているもの全てだった。どうしたらいいのか? 

しばらく経つと、やがて彼はよろよろとした足取りで立ち上がり、川辺をフラフラと下流へ歩いていった。滝はすさまじい音を立てながら怒涛のごとく注いでいた。彼は改めてその恐ろしさに身をすくめるとともに、助かった自らの強運を祝わないではいられなかった。 

全てをなくしてしまった事に気落ちしながらも、彼はトボトボと下流に歩みを進めていった。すると彼の荷物がボートと共に岸辺へ打ち上げられているではないか!まるで奇跡だった。なおも捜し廻ると、パスポートとお金の入ったバッグも見つかった。 

これで無事帰れる! そう思うとまた欲が湧いて来た。さっきの出来事など、もうケセラセラだ。両親も神様も、既に野垣の脳裏から消し飛んでいた。また釣りを続けられるぞ。彼はこう思うと、ただ嬉しくて仕方がなかった。早くも近くの町で釣り道具を買い揃える算段までしていた。

全くの所、馬鹿は死なないと直らないものだ。野垣は再び生き生きと行動を開始した。

野垣は無事川から戻って来る事ができた。そして必要な道具を近くの町で買い整えると、また南へと旅立った。そしてサンチャゴを発って3ヶ月後には、とうとう彼は最南端であるフエゴ島まで達していたのである。

ここは野垣の釣りの最終目的地であった。この島を流れる最大の川リオグランデには、降海型のブラウントラウト、シートラウトが遡上してくるのである。そしてここのそれは、10ポンドを軽く超えて世界一大きいとされているのだ。 

野垣は心を浮き立たせながら近くの宿に落ち着くと、明日からの良い釣りを夢見て安らかな眠りへと落ちた。翌朝目覚めて身支度を済ませた彼は、車の傍まで近づいた時とんでもない物を発見する。

何という事だ!車のサイドウィンドウは粉々に割られ、中に置いていた釣り道具はゴッソリ持ち去られているではないか! 警察を呼んで調べてもらったものの言葉もうまく通じないし、どう手の施しようもなかった。

現地の警察の無能さも折り紙付きである。碌に調べもしないで、荷物を車内に置いといたアンタが悪いんだよ、とこっちがたしなめられるばかりである。

信じられなかった。人口5000にも満たない小さな町の真ん中で、釣りやキャンプ道具など何の金銭的価値もない筈のものが、ソックリ盗まれてしまったのである。

彼自身の南米の貧しさに対する認識が甘過ぎたのだ。価値のある物であろうがなかろうが、彼ら泥棒はとりあえず盗めるものは盗んでしまうのである。

最早手持ちの資金も底を尽きかけており、新たに必要な道具を買い揃える事は不可能であった。日本へ帰国する以外に選択の余地はなかった。あたら世界一の鱒釣り場を目前にしながら、野垣はすごすごと引き下がらざるを得なかったのである。

ヤケクソの気分になりながら、彼は荒野に伸びる砂利道をおそろしい勢いですっ飛ばし、南の果てから5000キロ以上も離れたチリのサンチャゴまでたったの5日で帰り着いた。 

思えば彼が何度も恐ろしい目にあったり、道具を失ってしまったりしたのも、こんな馬鹿な事はもう止めろという神様の思し召しだったのかもしれない。

人間、命を落とすほど危ない目に会った日には、もう二度とこんな愚は繰り返すまいと反省して、自分のこれまでの生活を悔い改め、より建設的な方向へと進んでいくものである。

ところがわが野垣にあっては、相変わらず釣りの夢を諦める事ができないでいるのだ。彼ときたら釣り好きが嵩じてしまった挙げ句、現実の社会生活からはとっくの昔に落ちこぼれ、今ではその生活さえ破綻寸前の有り様なのである。

馬鹿は死ななきゃ直らないというが全くその通りで、このままいけばいずれ彼の水死体が何処かの川に浮かぶ日が来るまでは、彼が釣りへの情熱を諦める事は決してないであろう。 

野垣は想像ではなく実在の人物です。したがって上に述べられているのは実話です。貴方は上の文章を読んで、彼の事をどうお感じになりましたか? 批判、中傷、何でも結構です。野垣は貴方からのお便りを待っています。でもホントはネガティブな意見よりポジティブなものの方が嬉しいカナ。  




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